定期的に実家に顔を出すようになった弟。
投資信託の運用成績の話と、ネットワークビジネスの話を織り交ぜながら勧めてきました。
「お金が増えると自由が生まれるよ。」
「お金があればもっといろいろなことができるようになるよ。」
「お金があれば生活も豊かになるし、心にも余裕が生まれるよ。」
確かにそれはもっともなんだけれども、問題なのはネットワークビジネスであることと、その投資信託は本当に信用しても大丈夫なの?という本質的なところが心配でした。
怖いけれどお金が増えるならやってみてもいいかぁと言い始める母
弟が持ち込んだ投資信託の運用成績表。
今現在、弟が振り込んで運用しているお金に対して、毎日どのくらい増えたり減ったりしているのかというのが見てとることができる表がプリントアウトされていました。
土日は基本的に運用していないので、月曜日から金曜日までの運用成績が1ヶ月分まとめてリストになっていました。
それが数ヶ月分ありました。
運用成績は毎日ネットの専用サイトで確認できることになっていました。
夜の10時くらいに更新されるという話です。
システム上更新が反映されない日もあるけど、後日まとめて反映されるから大丈夫という話もあったような気がします。
投資なので、増えている日もあれば減っている日もあるという感じで、ちゃんと上下していました。
結果的に「月に3%前後」の利益が出ていて利益率が確かに高いものでした。
そしてダメ押しの未来予測の計算表です。
利益が出た分は再投資にまわり、その金額を含めて複利で増えていくという方針なので、ある金額を入れたままほったらかしにしておくと数年後には1千万円を越していくという計算になります。
そうなってくると、利息だけで生活できるようになります。
何もお金の心配がいらなくなります。
そんな良い話はそうそう無いです。
「そんな良い話はそうそう無いです。」(危険ワードなので2回言いました)
今、このチャンスを逃してしまえば二度とこの話には出会えないという「緊急性」を演出するテクニックがそこにはありました。
ついに母の心は揺れ始め、安心して投資ができるのならやってみてもいいかもしれない。と言い始めました。
これがお金の魔力です。
弟が熱を入れて頑張っている姿を見て応援したいと言う父
父はどちらかというと投資には興味がないそぶりを最初は見せていたように思います。
実際心の中でどう思っていたのかよくわからなかったですが。
ただ、やっぱりお金は大事だし、お金が増えるのならばやってみても良いだろうと思い始めていたのは確かだと思います。
実際、父も母も自分も同時に同じような話をされているので、何らかの心境の変化があっただろうとは思います。
そして父としてのもう1つの大義名分は「弟が一生懸命頑張っていることだから応援してやりたい」と言っていたことです。
そう、「投資信託(商品)を勧める」という活動は、つまり「ネットワークビジネスを通して営業活動を頑張っている」と、捉えることができます。
父はそれを応援したいのだと言っていました。
確かに弟はネットワークビジネスに熱を入れ、仕事が終わってからや休日などを使い営業活動を頑張っていました。
その甲斐あってか交友関係も広がりを見せていたし、「やりたいことややってみたいことが見つかった」と楽しそうに動き回っていました。
何か好きなことが見つかり、それに打ち込めるというのはとても尊いことです。
そこに関しては否定できるものではありません。
ただ、なぜネットワークビジネスだったのか。
そこだけが悔やまれます。
疑いながらも自分だけやらないという選択ができなかった
最後に私の心境の変化の話です。
実際私も最後までやっていいものか、やってはいけないものなのか悩んでいました。
父も母もどちらかというと「やってみてもいいかもしれない」という気持ちに傾いている雰囲気の中、私だけが「やらない」という意志を貫くことは難しかったです。
- もしその投資信託が信用に足るものであったとしたら?
- 弟はもう運用成績で結果が出始めているし、父も母もこの投資信託にのっかって2人とも運用成績が出てお金が増えて楽しそうにしていたら?
- 数年後、両親や弟はお金の悩みから解放されて楽しそうにしているのに、自分だけがお金の悩みを抱えて、頑張って仕事をしている姿を想像してみたら?
- 両親や弟はお金が増える。そして自分だけが投資をしていなくて「お金が増えない」ことに耐え切れるのか?
- でもやっぱりこの話は怪しい。怪しい以外の何者でもない。いやしかし・・・。
非常に難しい葛藤が頭の中で生まれていました。
「怪しい」「危険かも」という気持ちは常に付き纏っていました。
ですが私自身も「お金」というものに苦しめられて生きてきた中で、自分だけお金が増えないという状況に置かれた時、それに耐えることができない。
だったらやってみてもいいのでは?
そういう結論に至ってしまいました。
集団の中で自分だけ取り残されるというのは何とも言えない気分になってしまうものです。
ここで自分を貫くという気持ちは折れました。
気持ちが折れてしまったことで、自分もこの投資信託の話に、つまりはこのネットワークビジネスに入会する方向へと心が傾いていったのでした。
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